具体的な「用意不用力」とは?
推手において攻撃されるとどうしても力んでしまう。そこで先生は、放鬆しろと言う。
そして放鬆するとさらに押し込まれて崩されてしまう。そこで「用意不用力だよ」と言われる。そうか!「用意不用力か」と納得して思考停に止追い込まれる、後になって具体的にどうすることが「用意不用力」なのか?と疑問がわく。そこで私の先生は言う「拳論に答がある」と。
だけど何をどう読むのか?原文はわかりそうで解らない。翻訳を読んでも翻訳者の意訳なのでなかなかわからない。それでも何回か読んでいくと少ずつしわかってくる。ポイントは「守中」にある。中心を守るだ。相手に推されたとき動いてどうしても中心がずれてしまう。その時それを守ろうとして「調整」する。この調整を「用意」という。そして調整するのは「虚」で整えろと言われる。自由に動けるのは虚の方だから。「実」は虚からの力を受けているだけで何かしようとしない。
ではなぜ中心を守ることが大切なのか?
それは、ピラミッドを見ればわかる。安定していることだ。安定していることによって心静「安舒」ゆったりとして心穏やかだ。
そしてさらに先生は「套路は虚で動く練習だ」と言う。
動きの中でどうしても中心がずれていく。それをよく観察して、意思によって調整をしていく。調整すのは「虚」で調整をする。これの繰り返しだ。しかし、これは初心や入門者には難しい「ゆるんだら動けないじゃん」となるから。長年やっている人でも、ゆるんだらぐらぐらになるという恐怖心から「力む」。
しかし「気の流通」がわからないからだ。「気の流通」があればぐにゃぐにゃにはなることはない。この「気の流通」を感じるように放鬆して動く練習が套路ということになる。