①「毎一動,惟手先著力,随即霧開。猶須貫串一氣,不外起、承、韓、合。始而意動,既而勁動,韓接要一線串成。
②氣宜鼓蕩,神宜内飲。勿使有訣陥虎,勿使有凹凸虎,勿使有断績虚。其根在脚,衰予腿,主宰干腰,形予手指。由脚而腿、而腰,細須完整一氣,向前、退後,乃能得機得勢,有不得機得勢虎,身便散乱,必至偏侍,其病必子腰腿求之。上下、前後、左右皆然。
③凡此皆是意,不在外面。有上即有下,有前即有後,有左即有右。如意要向上,即寓下意。若膊物撤起,而加以挫之之力,斯其根自断,乃壊之速而無疑。
④虚賞宜分清楚,一虚自有一虚虚賞,虚虚線有此一虚賞。週身節節貫串,勿令絲音電間断。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①「一挙動する毎に、ただ手に先ずは力を入れて、ただちに緩める。
なおかつ一気で貫くべきで、起こし、受け、転じ、結びに外ならない。
始めは意が動く、そのあと勁が動く、転じてつなぐ所は一線で貫くべじ。
②氣は鼓蕩であるべし、神は内に収飯すべし。欠陥の所を無くし、凹凸の所を無くし、断続の所を無くすベし。
その根は脚に在り、腿において發し、主宰は腰に在り、形は手の指にて現れる。脚から腿、腿から腰、総て完全で、整っていて、一気にすべし。
かくして初めて前に向く時も、後ろに退く時も機を得、勢を得る。
機を得ない、勢を得ない所が有れば、身が散乱し、偏りが必ず現れ、其の病因は必ず腰と腿に求めるべし。上下、前後、左右皆同じ。
③此れらは皆意のことを指し、外見の形にあらず。
上有れば即ち下有り、前あれば即ち後ろ有り、左あれば即ち右あり。
若し上に向く意があれば、即ち下に向く意を寓すべし。
物を持ち上げる時先ずそれを押さえ付ける力を加えるが如し、しからばその根自ずと断ち、速やかに壊れるは疑い無し。
④虚実をはっきり分別すべし。
一か所には自ずと一か所の虚実有り、至るところ何処にも同じくこの虚実あり。
全身が一節一節と一つに貫かれ、絲一その途切れもないようにすべし。
(三)解説
① ″起、承、転、合″は、 四句よりなる漢詩(絶句)の作法上の用語です。すなわち、先ず(第一句)詩意を起こし、(第二句)それを受け、(第二句)これを他に転じて、最後(第四句)に結びという根本的な手法です。
一般には(ここでも)四つの決まった段取りという意味で使われています。
この段落の意味は、どんな動作でも、一つの動作をする、立ち居、振る舞いをするごとに、先ずはただ手に力を入れますが、ただちにそれを緩めるのです。しかもこれを一気にやり通さなければなりません。
これは、言わば、絶句を作る時の順序と同じであって、すなわち″起こし、受け、転じ、結び″の四つの段取りに外ならないのぜす。
最初は″意″が動く、すなわち前述の意識の先行作用のこと、それに続いて″勁″が動くのです。
そして転ずるところ、つなぐところは必ず、途切れることのないように、一線で貫かなければなりません。
② 第二段落の第一句は呼吸と精神状態に対する要求です。″鼓蕩″は水の波がそよ風の力で悠々と揺れ動く様子です。
すなわち、呼吸を自然に保ち、ゆったりとした自然呼吸をしながら、気の動きを水の波が悠々と揺れ動くような状態に保たなければなりません。
精神、表情、まなざしは内面に収餃させた方がいいです。
その次は動作自身に対する要求です。
大極拳の動作はすべて円を成し、弧形線と螺旋線の結合ですから、動作には円として欠陥、足りない所、でこぼこの所があってはなりません。太極拳の動作は行雲流水のようでなければなりませんので、途切れる所がないように一貫していなければなりません。
その次は動作の順序についての説明です。
動作の根、動作を生む源は″脚″です。
つまり、動作は足首以下の部分から生み出され、足首から股関節までの部分(腿)で発動するのです。
その力を司る、取り計らうのは腰であって、形として現れるのは手の指です。しかも、それが脚から腿、腿から腰というように動作全体が一つとして一気に完成して初めて前進も後退も機を得、勢を得ることができるのです。
″機を得る、勢を得る″というのは、自分の体が楽で色々な動作ができる状態です。
体のどこかが楽でない状態になれば、体全体がばらばらの、散乱の状態になり、必ずどっちかに偏っている状態になり、一つとして動けなくなります。
そういう場合は、必ず腰と足にその″病″の原因を求めなければなりません。
すなわち、腰と足のどこかが望ましくない状態にあるからです。
これは原則的に説明していますので、方向性がありません。上下、前後、左右、どの方向に向けられた動作にも同じく適用します。
③ しかし、これらは皆意、意識についての話であり、体の外見の形の変化のことではありません。次の三句は、上下への動作を例にして、具体的に上述の原則を説明しているのです。
つまり、若し上に向ける動作をしたければ、まずは下に向ける動作をする意識を持たなければなりません。これは何かの物を持ち上げたいとき、先ずは下に向けられた力を入れてその物を押さえ付けながらしっかりと捕まえなければならないのと同じ道理です。
そうすることによって、その物が根こそぎに動かされることになりますから、それを倒したければ倒せるのは疑いのないはずです。
これが分かれば、前後左右どの方向に向けられた動作も同じことです。
④ 第四段落は虚実の問題についての説明です。
先ずは自分の体のどの部分が虚で、どの部分が実であるかをはっきりと意識しなければなりません。
一か所一か所では勿論虚と実に分かれておりますが、全身の至るところ何処も同じく虚と実に分かれていなければなりません。
しかも、全身の関節が一つ一つ皆あい貫かれていて、一つの統一体を成しており、ほんの少しでも途切れたところがあってはならないのです。
虚実については前述の基本概念の部分を参照して下さい。
これも一対の矛盾です。
おおむね説明しますと、例えば、体重が完全に或いは大部分を左の足にかけていれば、即ち左の足が実で右の足が虚になります。
しかし、足だけを取って言いますと、地面に接する足の裏が実であり、足の甲が虚になります。
手もそうです。
外に向けられた部分が実になり、自分に向けられた部分は虚になります。
しかも実の中にまた虚があり、虚の中にまた実がなければなりません。
つまり、実と言っても全部の力を注ぐのではなく、虚と言っても完全に力を抜くのでもありません。
何時も自分に余裕を残すことが重要です。
ですから、体の各部分の虚と実は固定したものではなく、時間的には非常に瞬間的なものです。