用意不用力
「力」を用いず「意」を使う。
「意」を使うとはどういうことなのだろうか?
馬張勲の「太極拳を語る」p216から
「用意不用力」の「用意」とは、意を使って中のものを調節すること、また「意」を使って相手を聴いて中の感覚を体験すること、また「意」を使って「氣」を調節しその感覚を体験することだ。
ーーーここまで
聴勁によって相手の力点を探る。
まだまだ自分でも良く分からない。
馬張勲老師曰く
もし身法がそこまで至っていなければ、どのように言ってもあなたは理解できない。
ただ放鬆に照らして一歩一歩練習していくしかない。功夫は裏切らない。時期が来るとこれらは皆表現できるようになる。あまり考えるのも良くない。
たぶんですが、馬張勲老師もやはり同じようなところで苦労したんだろうと思います。
だからこの「太極拳を語る」は我々太極拳愛好家の羅針盤になる本だと思います。