緩み 放鬆 内勁 捨己従人
たぶんこれは全部関連しているんだと思う
相手が引いてきたとする
相手についていくが、重心が自分の安定範囲から外れると崩されるのでその範囲内でとどまろうとすると「力み」が生じ「双重」となる。
放鬆しながら付いていくには「守中」が必用であり、「守中」とは中心を守ることだ。
ただ中心を守ろうとするとどうしても「力み」がでる
「力み」が起きないように中心を守りながら相手についていくためには放鬆するのだが、「放鬆」するには腰と呼ばれる部位「帯脈」を緩める。人間には縦に流れる12本の経絡がある。それを束ねるように臍と命門をめぐる横の経絡が「帯脈」だ帯のようになっているので「帯脈」と呼ばれる。そこを緩めると、「食後にベルトを緩めたような感じ」下半身・足裏に血液がジュわっと降りる感覚がある。これにより全身が一つになる。血液が下りたということは「氣」が下りたことになる。この感覚を保ちながら相手に付いていく
相手が引き始めたら、その接点を軽くして「虚」でついていく「捨己従人」。けして自分主導で動いてはいけない。自分が主導してしまうと「実」になり「力み」が生ずる。とにかく聴くことに集中する「聴勁」
この時、膝が屈伸したり、腰が伸びたり極力しないようにする。そうしないと相手の力がわからない。つまり「聴勁」ができない。輪ゴムを引っ張った時、片方が止まっているのでその力や方向がわかるのと同じ。両方が動いてしまうと、方向や力がわからない。陳式の「陳中華」と言う老師が「不動」を強調している。
そして相手の接点の動きに付いていきながらその「力」の動線を自分の中心点へと導く「蓄勁」
中心点と接点とつないだ線がピンと張った状態「足裏の充実」になった時「放鬆」すると「勁」が出て相手をくずことができる「蓄発」「内勁」。
全て相手が中心で相手の動きによって自分の足裏が反応させられて出てくる力が「勁力」。けして自分で主導で動かない。実際はもっと細かいことがたくさんある。これは、ロシアのシステマなどによく似ている
相手がいない套路の練習は、上記のことから考えて、自分の体を相手のからだと想定して練習する
自分の重さを使って相手が押したり引いたりすると仮定する。動きは「虚」で動かないと力みが出て実際に相手と接した時「拙力」となり双重や推手の四大病などの原因となる